『白い怪物の謎』

白い怪物の謎


 純白の雲が古代の碧い海に浮かんでいる。強い陽射しを浴びて漂う雲は、まぶたを閉じてなお、その姿が瞳に焼きつくほど白く輝いていた。

 海岸線はいくつもの弧を連ね、海と陸とを分かちながら水平線の向こうへ消えていく。その片隅に、まるで雲のひと群が地上に落ちたような、白い小さな町があった。この町は砂漠に囲まれていた。町の外に道らしい道はなく、黄金色の砂が流れるような波紋を描きながら、どこまでも広がるばかり。外界から隔絶された、孤立した町であった。
 この町の建物は、一様に白く塗り固められていた。そして、そんな白い建物が狭い街路の両脇に密集しているのは、強すぎる陽射しを遮るためである。屋根や壁は陽光を鋭く反射し、一方で、分厚い壁は薄暗い日陰を町の随所に作り出していた。飛び抜けるような白さと濃い影が混在する、美しい町であった。
 しかし、この町は今、日照りに苦しんでいた。例年であれば、夏のはじめ、南の海から嵐がやって来て、町に大雨を降らせる。しかし、今年は夏になっても一向に嵐は来ず、ただ太陽だけが苛烈な陽射しを町に浴びせ続けた。町からは日に日に潤いが失われていった。地面は乾燥して砂埃が舞い、やがて水路も井戸も涸れた。人々は飲み水さえ満足に得られなくなり、わずかな水で乾いた舌先を湿らすことしか許されなくなった。それなのに、ひとたび外に出ると、非情な太陽は容赦なく肌を焙り、やっと絞り出した一滴の汗さえ、瞬く間に蒸発させてしまう。やがて、人は家から出なくなり、分厚い壁の背後に身を隠し、影と同化して雨を待った。

 そんな町に更なる不幸が訪れた。南の海の向こうから、荒れ狂う波濤を伴って、巨大な怪物が飛来したのである。怪物は海水を巻き上げながら上陸し、町の空に其の姿を現した。怪物は異様な容貌をしていた。獅子の頭に人間の胴体、下半身は大蛇で、背中には大きな翼が生えていた。そして、怪物の体は全身が雲のように真っ白だった。怪物がひと吠えするたび轟音が響き渡り、その巨大な翼で羽ばたくと、樹木さえ薙ぎ倒すほどの突風が町を吹き抜けた。
 怪物は町の上空を、渦を巻くように悠々と旋回していたが、やがて町の中心にある広場にやって来ると、そこに建てられた鐘楼の屋根に降り立った。それは此の町で一番高い場所だった。怪物は屋根に止まったまま、暴れることもなければ、そこから飛び去ることもなく、まるで大理石の彫刻のように、その白く逞しい体を太陽の光に輝かせていた。
 人々は怪物に恐怖した。しかし、そんな中、ある物見高い男が広場へ赴き、鐘楼の屋根に止まる怪物に近づいた。すると、怪物の方から男に話し掛けてきた。
「私の出す謎に答えられたら、お前の望んでいるものをやろう」
それは意外な提案であった。戸惑う男に、怪物は更に言葉を続けた。
「お前が一番欲しがっているものだぞ。さあ、どうする?謎に答えるか?」
男は怪物の言うことを信用していいか迷ったが、しかし、望むものが貰えるならばと思い、謎に挑戦することにした。その旨を伝えると、怪物は機嫌よく笑い、そして、男にこんな謎を繰り出した。
「私の名は何か?」
男は此の余りにも唐突な問いに面食らい、しばらく何も言えなかった。怪物が謎を繰り返した。
「私の名は何か?お前もよく知っているはずだが」
怪物は自分の名前が何なのか聞いているらしい。男は怪物を見るのは初めてであるし、当然、名前など知らない。男が答えられずにまごついていると、業を煮やした怪物は口から火柱を吐き、男の頭に打ち落とした。男は声を上げる間もなく殺されてしまった。
 それからも、広場を通りがかる者に怪物は同じ謎を出し続けた。
「獅子」
「蛇の化け物」
「悪魔」
謎を出された者は様々な答えを返したが、どれも正解ではなかった。そのたびに怪物は、
「歓迎されると思ったのだがな」
と、皮肉っぽく笑いながら、不正解の者に火柱を打ち落とすのであった。その音は町中に響き渡り、そのたびに人々の心へ恐怖を植えつけた。折りからの日照りと怪物の襲来。いよいよ人は家から出なくなった。人の気配の消えた広場に、怪物の異様な姿を映す濃い影が落ちていた。

 ある日、怪物は誰も自分の名を知らないことに痺れを切らし、広場に町の長を呼び付けた。
「なぜ、この町の者は俺の名を知らない。俺はお前たちの為に、はるばるやって来たのだぞ。俺はもう我慢ならぬ。七日だ。あと七日だけ時間をやる。もし、七日後に俺の名を言えなければ、俺はこの町を滅ぼす」
 怪物から恐るべき通告を受けた町の長は、すぐに町中の賢人を集め、怪物の名を調べるよう依頼した。その日から、賢人たちは手当たりしだいに古い文献を調べはじめた。町の書庫には、かがり火が焚かれ、賢人たちが書物をめくる音が夜を通してやむことはなかった。文献の中には、似たような怪物に関する記述がいくつか見つかったし、それを元に議論も大いに行われた。かつてない町の危機を前に、賢人たちは知力を結集させ、怪物の名前という難問に立ち向かったのである。

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