『絵の中の盗賊』

絵の中の盗賊

作戦会議

 一同はロビーも通過し、その勢いのまま美術館の外へ飛び出した。再び少女像の下で輪になると、館長が深々と頭を下げて謝った。
「申し訳ございません。皆様を危険な目に会わせてしまい、なんとお詫びしてよいか」
黒渕先生が、慰める代わりに館長へ話しかけた。
「しかし、これであの盗賊のことがいろいろ分かりましたな。奴は絵の中にいるだけでなくて、絵から絵に飛び移る事ができる。おそらく、これまでも色々な絵を渡り歩いて来たのでしょう。そして、その度に、絵の中に描かれていた様々な品を奪い取って来た。だから、豪華なガウンであるとか、とんがり帽子であるとか、肉やワインを持っていたのですな。そして、あの風景画に潜んでいたところ、それがこの美術館に買われることとなり、絵と一緒にこの町にやって来たというわけです」
館長も頭を上げた。
「どうやら、そのようですね。とんでもない絵を買ってしまいました。それにしても、盗賊が絵に入るごとに、大きさや画風などが変化していたのには驚きました」
「全くです。絵の中は一つの画風で統一されていますからね。絵の中に入ると、それに合わせて盗賊も変化するのでしょう。それに、奴は様々な絵を渡り歩いてきた経験からか、美術愛好家の嫌がる事をよく心得ている。私たちはいいように躍らされてしまいましたな」
 二人の会話に小平氏が割って入った。
「二人とも、感心している場合じゃありませんよ。今のまま奴を放っておくと、この美術館の絵も荒らされてしまいますよ」
大曲夫人も続いた。
「そうですわ。奴を捕らえる策を考えねば」
自分の愛する絵を荒らされかけた二人は、このまま盗賊を放置しておくわけにはいかないと、強く思っていた。
 いかに特殊な能力を持っていようとも、やはり盗賊は盗賊である。捕まえなければいけない。そう決意した一同は、各々その方法を考えはじめた。絵を片付けようとしたら盗賊は移動するし、こちらは絵の中に入ることはできない。果たして、捕まえる方法があるだろうか。

 しばらくそれぞれが考えを巡らしていたが、記者がつぶやくように話を切り出した。
「奴が絵の中にいる時、我々は手出しできない。となると、移動中を狙うか」
お巡りさんも言った。
「移動中なら、絵に被害も出ないのであります」
もっともな考えであったが、これには望月氏が反対意見を述べた。
「そんなの無理です。奴は鳥のように速かった。飛んでいる鳥を追いかけたって、捕まえられないでしょう」
たしかに盗賊の飛行は鳥並に速かった。それでは、いくら盗賊が絵の外に出ていたとしても、捕まえるのは困難だ。一同は望月氏の意見に同調し、再び沈黙の中へ舞い戻った。
 しかし、しばらくして、鉛筆を額に当てて考え込んでいた記者が、こんなことを言った。
「いや、可能性はありますよ」
みんな驚いて記者のほうを見た。記者は俯きながらも、力強い口調で言った。
「たしかに奴は鳥のように素早い。でも、奴は鳥と違って、自由に飛び回るわけじゃないんだ。奴は絵から絵に移動するんです。いくらスピードが速くても、移動する先が分かってるんなら、その軌道上で捕らえる事が出来るんじゃないですかね」
お巡りさんも言った。
「なるほど。盗賊を追いかけるのではなくて、絵の前で待ち構えていれば良いのですね」
暗く沈みかけていた一同の目に輝きが甦った。たしかに、この方法であれば盗賊の移動がいくら速くても問題ない。絵の前に立ち塞がっていればいいのだ。
 記者が館長に、
「いかがでしょう」
と尋ねた。館長はしばらく考え込んでいた。しかし、やがて意を決したように、
「やってみましょう」
と答えた。
 一同から歓声が上がった。名案が生まれ、いち早く盗賊を捕らえようという気運が高まった。しかし、館長がみんなを落ち着かせるように、こう言った。
「いつの間にか昼を過ぎていましたね。皆様、昼食もまだでしょうし、準備もあると思います。ここは一旦解散して、二時間後、もう一度ここに集まりましょう」
一同は了解した。そして、やがて訪れる作戦決行の時のために、ひとまず腹ごしらえをしようと、思い思いの場所に散っていった。

 もちろん、望月氏もやる気に満ち溢れていたのだが、そうでもない奥さんが望月氏に尋ねた。
「これからどうするんです」
望月氏は目を輝かせながら言った。
「私たちは、いったん家に帰ろう。動きやすい格好に着替えたい。手早く昼ご飯も食べてしまおう」
さらに一往復することになり、奥さんはガックリした。それを見て望月氏は怒った。
「なんて顔するんだ。もし、一人だけ来なかったら、人格を疑われるぞ」
「分かってますよ。でも、あなたは絵が好きだからいいけど、私はゆっくり過ごしたかったわ」
 望月氏は「あなたは絵が好き」という部分に触発されたのか、目の輝きをいっそう強くして言った。
「私はあの盗賊を見て、絶対に絵を守らなくちゃいけないと思った。絵を荒らされそうになった時の小平さんや大曲夫人を見ただろう。自分の好きな絵が荒らされるというのは、それくらい辛い事なんだよ。私も自分の大好きな絵があんな目に遭ったら、どうなってしまうか分からない」
「あなたの好きな絵って、あのビーナスさん?」
「さんは付けないでいい。安っぽくなる。そうだよ、私がこの美術館に通うきっかけとなった油絵の女性像。質朴なのに気高く、そして限りない優しさを秘めた女性。まさに四ツ葉町のビーナスだ。さっき展示室でちらっと見た時、美しさはいつもと変わらないけど、どこか不安に怯えているように見えた。その時、私は決心したんだ。ビーナスは私が守ると」
 また長くなりそうだと思った奥さんは、望月氏の言うことは無視して、すたすたと歩き出した。持参したドーナツはとっくに食べ終え、新たな食糧を求めていた娘も奥さんに付いて行った。ひとり自分の決意に浸っていた望月氏だったが、自分だけ取り残されていたことに気付くと、慌ててトコトコ二人の後を追いかけた。

 皆が去った少女像の下に、館長と相変わらずスケッチブックを抱えた巽君だけが残っていた。
「巽さんはお帰りにならないのですか」
館長が尋ねると、巽君は言った。
「ええ、僕はこの近くで外食しようと思います。一人暮らしなもんで。それにしても館長さん、僕は驚きました。絵を見ようと思って何気なく来てみたら、まさかこんな事になるなんて」
「私も驚きました。こんな騒ぎは美術館はじまって以来です。ところで、絵を見ようと思ってと言うことは、巽さんは新聞を読んで、こちらにいらしたわけではなかったのですか?」
「ええ、休日は写生に出かける事にしていて、その途中、ふと寄ったんです。そしたら、黒渕先生たちが集まっていたから、話を聞かせてもらいました」
「そうだったのですか。貴重な勉強の時間を無駄にさせてしまい、申し訳ございませんでした」
「いえ、館長さんが謝ることはないですよ。あの盗賊のせいなんですから。本当、あんな美しくてのどかな風景画には、似つかわしくない奴ですね」
 その言葉を聞いて、館長の目に少しばかり悩みの色が浮かんだ。それは、何か思ったことがあったが、それを言うべきか言わざるべきか、考えているような顔だった。しかし、やがて館長は小声になりながらも、巽君に率直な心境を述べた。
「あの絵なんですがね、正直なことを申し上げますと、初めて見たときに妙な胸騒ぎがしたのです」
巽君は驚いて何か聞き返そうとした。しかし、館長はそれを予測していたように、巽君が喋る前に話を続けた。
「といっても、盗賊が潜んでいると分かったわけではありません。盗賊がいた事とは関係なく、あの絵を見て感動すると同時に、心の片隅に不安な気持ちが湧いてきたのです」
「あんなに美しいのにですか?」
「ええ、たしかに美しい風景なのですが、美しすぎるというか、理想的すぎるというか、なんとなく、この世のものではないという気がいたしました」
巽君が聞いた。
「あの絵には、何か裏があるのですか?」
「いえ、あの絵自体はひたすらに美しいと思います。ですが、完璧なものを見ていると、どこかに汚点を探してしまったり、いつかその美しさが滅びるのではないかと不安になるのです。美しいものを純粋に楽しむことができない私が悪いのですがね」
館長は苦笑したが、巽君は真面目な顔で考え込んだ。
「ですが、素晴らしい絵であることに変わりありませんし、美しい風景を純粋に楽しんで下さる方もたくさんおられます。ですから、この絵を買うことに決めたのです。でも、まさか、こんな形で不安が現実のものになるとは思ってもみませんでした」
 巽君はしばらく真顔で物思いに沈んでいた。しかし、館長が、
「どうやら、美しい風景を好むという点においては、我々も盗賊も同じようですね」
と言って笑うと、巽君も若者らしい快活な笑顔を取り戻した。それから、巽君は食事を取りに、どこか町中の方へ歩いて行った。

つづく

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